みんなできづこう!
啓発活動
啓発活動の意義 ―仲間増やし―
皆で現状を分かち合い、ともに助け合いながら海辺の環境をよくしていくことを目指していく。
そのために、シンポジウム、ワークショップ、フォーラム、サミットを開催しています。
わたしたちの取り組み
様々な役割を持ってきたアマモ場再生とその全国的なネットワークにより継続されてきた全国アマモサミットですが、実は一番大きかった効果は、アマモ場再生を通じて全国の人が繋がったことではないかと考えています。もちろん、地域ごとに抱える問題も事情も違いますが、ネットでの繋がりも含め、一同に会して意思を同じくする全国の人が繋がってコミュケーションを継続させたことが、お互いに助け合いながら、活動の輪を広げ、より良い社会の実現を目指せることに繋がったのだと思われます。
アマモ場再生はまだまだ道半ばです。アマモ場再生に代表される様々な取り組みがすべて含まれているものです。まだまだ経済優先の志向も根強くあります。生態系はピラミッドで表されるような単純なものではありません。脳の細胞が多数のシナプスでネットワークされているように表されるものです。もちろんその中には人間も含まれています。アマモ場再生活動と全国アマモサミットは、そのシナプスを保全するあるいは繋ぎなおす役割を担っているのかもしれません。アマモ場再生という名前ではありますが、こうした枠組みで継続される全ての活動が、生態系の一員である人間自体が正常に機能していくことに繋がり、それこそが経済発展を支えているのです。
また、それが子どもたちの笑顔に代表される健全な育成につながり、子育てがしやすい街づくりにも繋がるのではないでしょうか。長い時間を要し、継続していくことが必要です。
全国自然再生高校生サミットに参加する高校生だけではなく、全国各地で有望な高校生、中学生、小学生が育っています。備前市日生では、高校生がアマモから肥料を作り、野菜を育てお弁当を作り、それを生協が販売するという流れもできてきましたし、青森市では駅前にビーチを作り、その運営アイディアを高校生のNPOが担うという試みもスタートしています。
我々の頑張りが、そうした子どもたちに、場を与えることに繋がり、未来を託せるのではないでしょうか。アマモも育ったが、一番育ったのは人間だったと言えるようにしていきませんか。こうしたことが持続可能な社会の原動力になっていくはずです。
こうした日本での取り組みを国際的に紹介し、持続可能な世界の見本であるという評価を受けるようになることを願っています。そのためにも、こうした枠組みが、ますます成長していくことを願ってやみません。
東京湾を少しでも何とかしたいと思い、様々な活動を行ってきましたが、特に力を入れてきたのがアマモ場の再生などの様々な実海域での活動です。アマモは古くは、万葉集の中にも登場し、伊勢二見の興玉神社では藻刈りの神事でも使われている海草でもあります。明治時代の漁場図でも東京湾ではどこででも見られていたことが分かります。海水の浄化機能、生物の隠れ場としての機能、採餌場や産卵場としての機能があり、「海のゆりかご」とも呼ばれており、最近ではCO2の固定(ブルーカーボン)にも有効であることが分かってきました。開発とともに減少していった海草の代表と言えるでしょう。
これを増やそうと、10年ほど前から種を採り、苗をつくり、種まきや移植を行うという活動を続けてきました。様々な困難もありましたが、その度に参加協力してくれる人が現れ、活動の輪も広がり、現在では年間で延べ3,000人もの人が関わる活動へと進化を遂げました。アマモ場も活動当初の2,000倍もの面積にまで広がり、毎月のモニタリング結果では、魚たちの種類も量も各段に増えてきていることが分かってきました。アオリイカやコウイカの産卵が当たり前のように見られるようになり、たくさんのイカが釣れるようになったことから、漁師からも釣り人からも喜ばれています。アマモ場はまだまだ増やしていく必要があり、今後も活動を継続させていく予定ですが、この直接的な再生活動を支えるような間接的な活動にこそ重要な意味があったと思います。
この活動を行うにあたり心がけてきたことがあります。それは単独の活動にはせず、なるべく多くの団体などの協力を得ながらやっていこうとしたことです。組織化を急がずに、楽しいと思って参加してきた人が徐々に組織に参加していくという手順をとり、境目のない情報の共有と広い配信には力を入れました。これが返って後々参加していく者が力を発揮していくことに繋がり、組織が拡大していくことになったのだと思います。これにより、最初は小さな波紋だっだものが、次第に大きなうねりへと変化していったのです。もちろん、問題や課題は発生しましたが、キーワードは「あきらめない、続ける、繋ぐ、紡ぐ」だったように思います。下支えをするのではなく上に立ちたい者や自分だけの手柄にしたい者は排除することも行わなければならない場面もありました。「自分が良くなりたいのか、自然を良くしたいのか」あるいは「自分のためにやっているのか、次世代を担う子どもたちのためにやっているのか」などです。子どもたちの参加には、特に力を入れてきました。教育のための教育になりがちなテクニック論だけの環境教育をしようというのではなく、我々の世代だけでは解決のゴールに至らないものを、将来の世代の主役たちに託していきたいと思ったからです。子どもたちは教え諭す対象ではなく、小さいけれども大切な仲間なのです。主役として扱うべき存在なのです。これには、様々な考えを持つ大人たちも、子どもたちのためになることと考え、合意を得られるようになっていったという副次的な効果もありました。また、子どもたちを主役にしていくことによって、その地域での自然再生活動が、実は自然を介したコニュニティーの再生だということに気がつくようになっていきました。コミュニティーの再生が、再生したアマモ場を保全するための原動力になっていくということも分かってきたのです。つまり、技術的にアマモ場だけを再生していれば良いというものではなかったのです。
副読本「アマモの森はなぜ消えた」、「ハマの海づくり」もできました。「アマモ場の生き物たち」というかるたも製作しましたし、音楽の先生が歌も作りました。国際レゴの大会で3位に入賞する子どもたちも現れました。着ぐるみの人形も作りました。天皇・皇后両陛下からのお手渡しの苗の移植も行いました。2011年8月、陛下から激励のお言葉も頂戴し、2011年7月には、地元神社の祭礼で、80年ぶり(戦争で途絶えていた)にアマモの神事も復活させました。アマモ場でのスノーケリング教室も行ったり、アマモに絡む学習会も開催しました。国土交通省へ子どもたちによる政策提言やアパレル業者や、ダイビング雑誌との連携も行い、築地の仲卸との連携も行いました。湾岸域で活動している企業の社員グループや(敬称略)高千穂建設、東洋建設、セブンアンドアイホールデングス(セブン-イレブン記念財団)、東京ガス、三菱電機、マルハニチロ、東京海上日動とも連携しました。これらが後に関東地方整備局で行っているUMIプロジェクトに発展していったのです。また地元の水族館や青年会議所、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、テレビ局、ラジオ局との連携、教育委員会、PTA協議会との連携も行ってきました。こうした全ての活動がアマモ場という形の東京湾の自然再生に繋がっていき、東京湾再生官民連携フォーラムの設立や東京湾大感謝祭の開催にも繋がっていきました。
こうした全ての経験の積み重ね、そして広報活動が、全国アマモサミット開催、並行して行われる次世代の育成のための全国自然再生高校生サミットの開催に発展し、全国的なネットワーク形成に役立つこととなったのです。